- 熱にうかされて -



「8度5分……?」
優生は、淳史の脇から抜いた体温計の表示に一瞬目を疑った。
「けっこう高いな」
「そんな他人事みたいに……やっぱり病院に行かなきゃダメだよ」
「一晩寝たら治るだろう。さっき薬も飲んだしな」
淳史はソファに凭れ掛かるように座り直して目を閉じた。
今から思えば、仕事から帰った時に淳史の様子がいつもと違って見えたのは熱のせいだったのだろう。あまり気に留めなかった自分に腹が立つ。そうとは知らなかったから、淳史が食事の後に風呂へ行くのも止めなかった。
「どうしよう……タクシー呼ぼうか?」
「大丈夫だって言ってるだろう。救急外来に行ったって、耳鼻科や内科が当直医とは限らないんだぞ。余計な体力を使うだけだ」
確かに、淳史の言うのも尤もだが、だからといってそのままにしておくわけにもいかない。
「せめてベッドに行って寝て?」
「じゃ、添い寝しろ」
命令口調にちょっと驚いたが、こんな時に逆らうのはたぶん逆効果だ。
「わかったから、ちゃんと休んで」
軽く流そうとした優生の手が掴まれて、立ち上がった淳史にそのまま連れて行かれそうになる。
「待って、アイスノンか何かある?」
「あると思うか?」
おそらく、淳史は熱を出すことなど殆どないのだろう。予想通りの返事に、優生は冷凍庫の中身を思い浮かべてみた。


「じゃ、保冷剤で我慢してくれる?」
「優生?」
離そうとした手が掴み直される。
「保冷剤を取ってくるからちょっと待ってて?」
「駄目だ」
「え」
その手の力強さにドキリとした。まるで淳史が駄々っ子になったようだ。
「寝るんだろう?」
「うん……」
冷やした方がいいと思うのに、淳史の勢いに負けて腕を掴まれたまま寝室に連れて行かれる。
先にベッドに腰掛けた淳史の膝に引き寄せられて慌てた。
「淳史さん」
咎めるように声を荒げた優生の体がきつく抱きしめられる。
「ちょっと黙ってろ」
触れ合った所から伝わってくる熱さが尋常ではない気がした。淳史は平気そうな顔をしているが、相当ひどい状態に違いない。
優生の頬を撫でる手に促されて顔を上向ける。すぐに乾いた唇が触れてきた。戸惑う優生の唇を割って入ってくる舌がひどく熱い。逆らうのも応じるのも躊躇われて、為す術もなく身を任せた。
「ん」
息を継ぐように離れた唇に、いつも以上に低い声がささやく。
「悪いな、うつしそうだ」
「ううん」
ちっとも悪いとは思ってなさそうな顔に、そっと優生の方からキスを返した。淳史の口内も熱くて、優生の体温まで上げさせるような気がした。
抱き合ったままの体がベッドへと倒れてゆく。腕に抱き直されて、上体が淳史の胸元に乗るような体勢になった。


「重いでしょ」
退こうとした体を抱き止められる。添い寝というよりは枕かもしれない。但し、枕になっているのは淳史の方だ。
「じっとしてろ」
「このまま寝ちゃったら、うなされるかもしれないよ?」
それには答えずに、淳史は唇の端だけで笑った。
胸元に乗せた頬に、じわりと熱が伝わってくる。そっと首筋に手の平を滑らせて確かめると想像以上に熱かった。目が覚めたら元気になっているどころか、ますます悪化しているような気がする。何とか熱を和らげてあげたいのに、どうしたらいいのかわからなくて。
泣きそうな優生に気付いてか、淳史の無骨な指が髪を撫でた。辛いのは淳史の方のはずなのに、優生が慰められているようだ。
「おまえがいたらいい」
子供みたいな我儘を言うのも、甘い言葉をくれるのも、熱にうかされているからなのだろうか。
「いるよ、だから早く元気になって」
「起きたら治ってるから心配するな」
そんなわけはないと思ったが、何か言うと泣いてしまいそうで黙って頷いた。
沈黙が訪れると、淳史の呼吸の音がやけに気になった。いつもと違う荒い息が優生を不安にさせる。生地を通して伝わる熱も汗ばむ肌も、いつもの頑丈な淳史らしくなくて。
優生は元々眠りが深い方ではなかったが、淳史の様子が気になってぐっすり眠れそうになかった。




明け方、寝苦しくて目が覚めた。
触れ合っている所が汗でベッタリと濡れていて、淳史だけでなく、優生のパジャマも着替えなくてはならないくらいだった。
とりあえず、肌に張り付いた淳史のパジャマを脱がせようと思ったが、体格の違いが大き過ぎてままならない。
できれば病人を起こさずに着替えさせたいと思っていたが、無理だったらしい。
「……優生?」
そうでなくても濡れて扱いにくい上着に手こずる優生に、淳史がだるそうな声で問いかけた。
「あ、ごめんなさい、起こしてしまって」
「もしかして寝込みを襲ってるのか?」
「そんなわけないでしょ、着替えさせてあげたかったんだけど」
重過ぎて、とは言えなくて語尾を濁す。
「自分でするから、タオルと着替えをくれ」
「うん」
急いで用意をして淳史の傍に置く。
淳史が着替えている間に、優生はシーツと枕カバーを替えることにした。先に自分の着替えをしておくべきだったことには気付かないまま。
「悪いな、ずいぶん汗をかいたようだな」
「少しはマシになった?」
「ああ、熱も引いたようだしな」
「そう?」
そっと額に手を伸ばすと、もう熱っぽい感じはしなかった。
「すごい……もう熱引いちゃったの?」
「だから、起きたら治ってるって言っただろう?」
「ほんとに頑丈なんだ」
感心する優生は、その風邪を一身に引き受けてしまったことに気付いていなかった。しかも、風邪はうつした者よりうつされた者の方が重症になりやすいものらしい。
優生が寝込んだのはその2日後のことだった。



- 熱にうかされて - Fin

Novel  


抱き枕だと思えば、優生の方が枕と言えなくもないですよね。

なんだか、淳史が俺様っぽくて我ながらビックリです。
本来こういうキャラだったはずなんですが……なんであんなになっちゃったのかしら。