- ドラスティック.9 -



ジャケットを脱ぎながら、ソファの方へ向かおうとした紫の肩に、不意に掛けられた白く長い上着に嫌な予感がした。
「……何、これ?」
「ドクターコートです。紫さん、思っていた以上によく似合いますね。こんな可愛い先生がいたら仕事に差し支えてしまいそうです」
黒田は、紫の問いの本意を全く無視して、白衣を羽織らせた姿を上から下まで眺めて、一人悦に入っている。

「俺は、何のためにこんなもん着せてんのかって聞いてんだよ!」
カッとなって声を荒げた後で、聞き方を間違えたことに気付いたが、もう遅かった。
黒田は下心を隠しもせずに、紫の肩に腕を回してくる。
「何のためって、もちろんコスプレですよ。紫さんはそういったプレイがお好きなようですから、用意してみたんですが」
「好きなわけないだろ! しかも、なんで俺が医者役なわけ?」
まがりなりにも医療に携わっている黒田の方が医者役には適しているはずで、それを敢えて紫に振る理由がわからない。

「ナースウェアの方がよかったですか? そういえば紫さんは女装の方が好きなんでしたね」
「だから、違うって言ってるだろ。俺はあんたが嫌がるカッコがしたかっただけで、ワンピが着たかったわけじゃない」
クリスマスの時の紫のコスチュームがあまりにも奇抜だったせいか、黒田はことある毎にその件を引き合いに出しては紫を落ち込ませる。
「それなら、ドクターコートでも構わないでしょう? 一応、男ものですし」
「そっ、か……?」
いつの間にか論点がずれてしまい、知らぬうちに黒田の思い通りの展開になってしまうのも毎度のことだ。
「紫さん、このごろ首や腰が痛いと言っていたでしょう? 診てあげますよ」
仕事帰りの紫を労わるような言い回しに、つい気が緩み、黒田に促されるまま寝室へとついていってしまう。


「あっ……」
思わず声を洩らしてしまうくらい、黒田はマッサージも上手い。
紫をベッドの上に座らせて、固まっていた首の後ろの筋を優しく解し、肩から肩甲骨へ、ゆっくりと丁寧に押したり揉んだりしながら辿ってゆく手は神技といっても過言ではないほどに器用だ。

「横になっていただけますか?」
耳元を掠めるように囁かれ、軽く背を押されるのに任せて俯せに倒れ込む。
背骨に沿うように両手の親指が指圧をしながら腰まで下り、わき腹を掴むように添えられていた指が腹の方へ回ってくる。
黒田の意図が読めずに、シーツと体の間に割り込んでくる手に対応するのが遅れた。
「そんなとこ、凝ってないだろ……っ」
「でも、ベルトの上からでは効かないでしょう? 私もやりにくいですし、下だけでも脱いで欲しいんですが」
さも尤もらしいことを言いながら、やはり余計なところへ触れる手に、思わず腰が引ける。
それが却って黒田に協力してしまうことになり、手際の良い指先は秒速でベルトを外してジッパーを開き、スラックスを下げてしまう。
「わ」
意図しているのかいないのか、黒田は白衣を捲って、薄い下着越しに紫の尻を包むように手をやった。
肉の薄い腰から背骨に沿って押さえてゆく親指に、少し強めに力を籠められても痛みは感じない。凝っているのは確かで、黒田の指や掌底が紫を気持ちよくさせているのは間違いなかった。
「ん……っ」
堪らず息を吐くと、紫を跨ぐように背後にいたはずの黒田の体が、背を覆うように被さってくる。
「変な声を上げないでください。我慢がきかなくなってしまいます」
言葉よりせっかちな手は、既に下着の中へ侵入を試みていた。
「ヘンなのはあんただろ、そんなとこ……っ」
紫の中まで入ってこようとする指に息を止められる。
なんだかんだと言いくるめられて、行為になだれ込んでしまうことになるのはいつものことだった。




「……“お医者さんごっこ”って、医者がヤらしいことされるプレイじゃないよな?」
ベッドに俯せに寝そべったまま、隣に座る黒田を見上げる。
少なくとも紫の認識では、される方ではなく、する方だと思っていた。
「紫さんが私にいやらしいことをしたいのなら、それでもいいですが……したいですか?」
戯れに、紫の背をなぞる指先がまた何かをしでかしそうで落ち着かない。
「したいわけないだろ。そもそも、あんたが俺の腰を診るって話じゃなかったのか?」
「ちゃんと診て、マッサージもしましたよ。凝りは解れたでしょう? だから私も気持ち良くさせていただいてもいいんじゃないかと思ったんですが」
ちっとも悪びれた風もなく、黒田は紫の抗議を流す。
「よくないし。ていうか、俺の体がつらいの、あんたのせいだろ? お預け解除した途端、際限なしにサカりやがって……」
「限界まで禁欲させるからですよ、反動が出るのは当然です」
相変わらず、黒田は自分本位な言い分を正論だと言って憚らない。
「少しは俺の年を考えろよ、もう30才越してんだからな」
「労わるほどの年齢ではないでしょう? 寧ろ、一番体力のある時期だと思いますが」
「俺はないの。潰れる前に節制しろよな」
冗談ではなく、元から体力のない紫は、そのうち黒田に壊されてしまうのではないかと不安になる。
「それなら、もう制限をかけないでください。我慢が過ぎれば、箍が外れたときに自制が利かなくなります」
あくまで自分は悪くないと言い切る語勢は、いっそ潔いほどだ。

どうあっても、この件については一歩も譲らないという態度を崩さない黒田に、結局は紫が折れることになる。
「……じゃ、中二日ペースで平日は一回だけな? 最初から“三日と空けず”って約束だったんだから充分だろ?」
「そんな頻繁にうちに来られるんですか? もちろん、私は紫さんの部屋でも構いませんが」
黒田の悪友たちに襲われそうになって以来、黒田の部屋には極力足を踏み入れないようにしていたが、そろそろほとぼりも冷めた頃だろうと思っていた。
それに、紫一人で待っているのならともかく、黒田と一緒に来るのなら大丈夫なのはわかっている。
「うちはダメだって。ヘンなことしたら、本気で出禁になるよ? それより、あんたと一緒に来るんなら、ここも問題ないだろ? 遅くなってもなるべく合わせるし、仕事の後で待ち合わせよっか?」
「紫さんが構わないなら、私は大歓迎ですよ」
これで完全に解禁となったからか、黒田の機嫌が一気に良くなる。

折り合いがついたと思い込んでいた紫には、黒田に課した長い禁欲生活の反動がまだまだ治まっていないことには気付けなかったのだった。



- ドラスティック.9 - Fin

Novel


2011.6.26.update

ごめんなさい、お医者さんごっこの予定が、ただのマッサージに……。
しかも、白衣はちっとも関係なかったり。
(私個人の)マッサージして欲しい! という願望が、こんな形になったのかもしれませんー。