- ドラスティック.5 -



「……何?」
聞くまでもないとわかっていながら、それでも紫にはまさかという思いの方が強くて尋ねてしまった。
差し出されたA5サイズほどの箱の、シンプルな包装紙に“St. Valentine's Day”と書かれたシールが貼ってあるそれが、他の何かのはずがないのに。
「チョコレートですよ。紫さん、甘いものも大丈夫だと言っていたでしょう?」
僅かのテレも見せない黒田に、至って真面目に言い切られると、茶化すことも出来なくなってしまう。
「これ、くれるためにわざわざ?」
いつもは、黒田の夜勤明けの日が紫の休日に重なっていれば前夜から部屋で待つのが習慣になっていたが、こんな風に出勤前に呼ばれたのは初めてだ。
「もしかしたら紫さんから戴けるんじゃないかと微かに期待していたんですが、このままではスルーされてしまいそうでしたので」
「なっ……何で俺があんたにチョコレートなんてやらなきゃいけないんだ?」
まるで紫の落ち度だと言われたように聞こえてカッとなった。
三十路の男が、黒田のような情緒の欠片もないような男を相手にバレンタインなんて言い出せば、鼻で笑われそうだと思って敢えて触れずにいただけなのに。
「ですから、あなたからは戴けそうにないと思いましたので、私が折れることにしたんですよ」
事ある毎に自分の方が大人だとアピールするような黒田の態度が、いちいち気に障る。
「どうせ、あんたはチョコレートなんて食べないんだろ?」
「紫さんにいただいたら何でも食べますよ」
あくまで紫の事情だと言いたげに聞こえて、今からでも用意しろという意味だろうかと考えた。
「……イベント事がしたいんなら、そう言っとけよな」
「今からでも構いませんか?」
「え……ああ、買いに行く?」
「いえ、出勤前ですし、チョコレートは結構です」
「じゃ、何を」
尋ねかけて、あまりの愚問さに我ながら情けなくなる。この男がこんな回りくどい言い方をする目的はひとつしかない。
言葉を切ったのを諾と取ったのか、黒田は俄かに間合いを詰めてきた。後退ろうにも、ソファの背凭れまでの距離はあまりにも短い。
「……あんた、これから仕事だろ?」
「大丈夫です。そのくらいの時間はありますから」
「チョコレートが欲しかったんじゃなかったのか?」
「気持ちが伴っていれば形には拘りません」
「気持ちって言うんなら、こういうことするなよな。あんたこそ、言ってることとやってることが伴ってないから」
すぐに紫の身ぐるみを剥いでしまおうとする器用な手と戦いながら、せめて舌戦では負けたくないと思ったが、未だかつて敵ったためしがないのだった。
「ですから、気持ちを行動に表すとこうなるんですよ」
首筋に触れる吐息が紫の産毛を逆撫でる。
あっという間に脱がせてしまう強引さとは対照的に、紫の肌に触れる掌はひどく優しかった。
「……バレンタインデーって、こういうイベントじゃないだろ」
「突き詰めれば、結局はそのためのイベントですよ」
「違うと思うけど……ていうか、あんた、イベントに関係なく、いつもこうだろ」
紫が黒田の部屋を訪れて何もなかったことなど一度もないと思う。名目など黒田には不要なものだったはずだ。
「そうですね。あなたを抱くのに他に理由は要りませんね」
「わ……っ」
開き直った黒田は、紫の体を瞬時にソファへと組み敷いた。優しげだった瞳に、どこか獰猛な色を浮かべて楽しげに笑う。
密かに、素直にチョコレートを用意しておかなくて良かったかもしれないと思ってしまったことが黒田にバレないよう、紫はそっと目を閉じた。



- ドラスティック.5 - Fin

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黒の気持ちって、やっぱ性欲でしょうか……。
甘さをひかえ過ぎたようだと思いつつ、一応バレンタイン用に書きました。