- ドラスティック.4 -

〔ご注意〕
精神科に関する台詞や描写等が出てきますが、
決して差別的な意味合いで使用しているわけではないことをご理解ください。
不安に思われた方は、読まれませんようお願い致します。



「なあ、看護師と看護士ってどう違うの?あんたは男だから看護士?」
今の紫の頭を悩ます問題に、黒田なら正しい答えをくれそうだと思っていた。だから、来る早々コートも脱がずに尋ねている。
「いえ、昔は女性を看護婦、男性を看護士と言っていたそうですが、今は男女に関わりなく看護師で統一されていますよ」
「へえ、そうだったんだ?な、あんたって“し”の使い分け得意?俺、今ひとつわからないんだけど」
「師は業務独占で“士”は名称独占と言いますが、例外もありますから一概には言えないでしょうね。医療関係は“師”が多いようですが、理学療法士とか臨床心理士とかは“士”ですし、地道に覚えるしかないんじゃないですか?」
「うわ、なんかムカツク」
紫は黒田と居るといつも、自分がひどく劣っているような気持ちにさせられる。単なる被害妄想に過ぎないのだろうが、上から目線で見られているように思えてきてしまう。
「それより、上着くらい脱いだらどうですか?すぐに帰るというわけでもないんでしょう?」
浅くソファに腰掛ける紫の隣で、黒田はさりげに距離を詰めて、親切めかして上着に手をかけた。
「あ、悪い。でも、長居するつもりもないから」
まるでホテルで上着を預けるような感覚で袖を抜かれるのに協力する。
「それで、“し”の使い分けがどうかしたんですか?」
「あんたがさっき言ったの、俺、書き間違えてて。社会人として恥ずかしいから勉強しとけって」
「調べるくらいでしたら協力しますよ。どの範囲ですか?」
なんだかラクになったようだと思ったら、紫の喉元からネクタイは消え、カッターシャツのボタンは半ばまで外されていた。相変わらず、良くも悪くも黒田は仕事の早い男だ。
「……あんたって、脱がすの上手いよな。っていうか、早過ぎ。これじゃ、勉強どころじゃないだろ?」
「職業柄、着せるのも得意ですよ。“し”は協力しますから、後にしましょう」
「だから、俺はそれを聞きに来たの。ていうか、あんた、俺には着せてくれたことないよな?」
「あなたには着せるより脱がせる方が楽しいですからね」
悪びれもせず言い切ると、黒田は紫のシャツを脱がせることに勤しもうとする。軽い小競り合いをしながら、紫は先の黒田の言葉を思い出して、ふと疑問を覚えた。
「看護師さんって、そんなに脱がせたり着せたりするもんなの?」
「そうですね。今は精神科にいますから、特にそういう機会が多いかもしれません」
「なんで?」
紫の思う精神科のイメージと現実に隔たりがあるのか、黒田の言う“特に”が理解できない。
「私がいるのは急性期病棟ですから、状態の悪い患者さんが多いんです。着替えさせるのに三人がかりなんて場合もありますし、なるべく手短に済ませられるようにしていますから」
精神科の患者を目にしたのは一度しかなく、どんな風な感じなのかあまり想像がつかない。ただ、以前黒田が保護した患者は、ある程度のことは自分で出来そうに見えた。
「着替えって、自分でしないの?」
「救急で来たばかりの患者さんは、まず出来ませんね」
「来たばかりの人って、決まった服にでも着替えさせんの?」
「処置が必要なら病衣に着替えていただくこともありますし、点滴を自分で抜いて血塗れというような場合にも着替えさせないといけませんから」
黒田が顔色ひとつ変えていなくても、流血に弱い紫には思い浮かべたくもない光景だ。
「なんか……怖いな」
「こういうことに疎い人にはそうでしょうね。でも、暫くすると慣れてくるものなんですよ」
「相手が正気じゃない時もあるってことだろ?ケガさせられたりとか、ないの?」
「もちろん、ありますよ。相手は理性がない状態ですから、噛む、引っかく、殴る、蹴る全部やりますからね。私も慣れるまでは生傷が絶えませんでした。患者さんの状態が落ち着くまで四肢拘束したり、保護室に入れたりということもありますが、接触しないというわけにはいきませんから」
黒田は事も無げに話すが、これまでそういったことと無縁だった紫からすれば、正直言って想像を絶する世界だ。以前、黒田が紫に“引かれるかも”と懸念していた深刻さを、少しは理解した気がする。
「……あんたって、大変な仕事やってんのな」
「何の仕事をしていても、大変じゃないものなどないでしょう?」
「でも、そんな凶暴な患者を相手にするのって……何ていうか、上手く言えないけど……」
心配だと言ってしまえば、ますますつけ上がらせることになりそうで言葉が継げない。
「病気がさせていることですから気にしていませんよ。ちゃんと薬を服用して状態が落ち着けば、普通の人と同じです」
今初めて聞いて戸惑う紫と違って、黒田には疾うに割り切れていて何の問題もないことなのだろう。
間ができて気付いたが、会話に集中していたようでいて、黒田の手は別なことに精を出していたようだった。
紫の纏っていた衣類の、上も下も開ける範囲のボタンもファスナーも全てはだけられていて、下着は腰骨が露になるほどにずらされている。隣に並んでいたはずの体はいつしか紫の上に被さるような体勢で、とても話を続けられるような状態では無くなっているようだ。
「も、気が散るだろ、やめろって」
「まだ話し足りないんですか?」
「ていうか、俺は話の方がしたいんだよ、こういうつもりで来たんじゃないんだからな」
そもそも“師”と“士”の使い分けを聞くのが目的で、話の成り行きで少しは黒田の仕事について知っておきたいと欲を出しただけなのに、まだシャツ一枚脱いでいない相手は、勝手に切迫した状態だということを紫の腹の辺りで主張した。
「私は話の方を後にしていただきたいんですが?」
「だから、余計なことはしなくていい、て……っ」
頼りない布一枚では到底守り切れるはずもなく、中まで忍んでくる遠慮のない手が紫の息を詰めさせる。軽く撫でられ、掌に覆われるとまるで人質に取られたみたいに、強気な態度は取れなくなってしまう。
「泊まるつもりではないんでしょう?早くしないと、“お勉強”の時間が無くなってしまいますよ?」
「う……んっ……」
意地の悪い指が、近頃めっきり弱くなった紫の体を煽る。門限などなくても、今夜は帰るのは無理かもしれなかった。



- ドラスティック.4 - Fin

Novel       


本編で触れる機会がなさそうなので、黒のお仕事に触れてみました。
というか、書けないことの方が多くて(自主規制)、中途半端になってしまいました……。
病院によっても、違いがあるのではないかと思います。
いずれ、こういったお話を(ドメでなく)書くつもりなので、その時はもう少し突っ込んでみたいと思います。